Wake Up,Girls! 「言葉の結晶」についての一考察

先日、WUGの新曲である「言葉の結晶」がyoutubeで公開された。おそらくこれを読んでくれている方々の8割は存じているような気がしてきたが、URLを貼っておく。

https://youtu.be/GE8QvaT9tQ0

 

いい歌だ。以下で述べていくが先に言う。いい歌だ。

ここから先は私の主観であるし、熊本でフルを聴いたわけでもない。あくまでyoutubeに公開されている部分までを聴いて思ったことだ。歌詞もまだ歌詞カードが無いので後からこれひらがなだったんか、、となるかもしれない。

 

「想いの 言葉の 結晶」

聴けばわかるが、この曲は多くの人が透明感を感じられると思う。音が少ない、というと誤解を招きそうだが、最小限の音で彼女たちの声を最大限に活かしている。そんな感じだ。

このイメージが強すぎて、最初は「想い」、「言葉」の「結晶」か! 綺麗な想いや言葉を集めたんだな〜! としか感じていなかったのだが、「努力の結晶」という用法もあるように、「結晶」は「綺麗な物質」という意味だけでなく「彼女たちの集大成」、「彼女たちそのもの」という意味としても機能する。この部分だけでもすでに最高である。

 

伝わらない響きと光

光は屈折するものである。結晶、というかダイヤモンドを思い浮かべるとわかるが、屈折するからこそ様々な輝きが浮かび上がる。

 

しかし、ここでの結晶は「ひび割れ」ており、響きも光も歪んでいく。彼女たちのライブでの挨拶やブログを読んでいると、挫折があまりに多すぎたのではないかと感じてしまう。もちろん自分たちには想像もつかない努力と挫折があったのだろう。(青山吉能の『解放区』の作詞者コメントを読むとそれをすごく感じる)

 

「まっすぐに伝わらない自分を責めていた」という歌詞からは、彼女たちが意図した想い、伝えたかった言葉が伝わらないのは自分たちの表現によるものだと苦悩している姿が浮かぶ。自分でひびを入れたわけじゃないのにね。

 

「悲しい」「苦しい」「泣いても」

ここは彼女たちの過去の苦悩が克明に描かれた部分だと思うし、歌い方もあまりに冷たく響く。最初に聞いた時ここで泣いた。「説明」という言葉から事務的・現実的な印象を受けるし、絶対的事実の前で泣いても、呼んでも、応えてくれる声が無く、夕暮れがあるだけ。と思うと余りに苦しい。

 

ひび割れていても結晶は結晶であるから、つらい思いも苦悩も彼女たちを構成する要素であっても良かったと思う。脆さ、儚さは美しさとして映ることが多々ある。桜の散る所とかね。

 

1人で静かに追い詰められる時間で

「1人で静かに追い詰められる時間」というフレーズでさらに苦しさ・悲しさが増す。彼女たちを待っていたのは夕暮れだけ。

 

夕暮れは朝焼けとは違い、光である太陽は沈んでいく。光や希望を失っている様子を表現する効果がかなり強くある気がする。

 

受け止めてくれる他者は存在しない。眩しい光は沈む。ひび割れた結晶に、さらに負荷が掛かる。

 

「傷を削って透明になる」

この歌詞は恐ろしい。

(私は「傷を削る」=「傷をなかったことにする」だと解釈した。)

物理的な結晶に傷がついた場合、傷を削ったら普通に考えて壊れる。この時、傷をなくすにはどうするかというと、傷のまわりを全て削るしかなくなる。

追い詰められた時間で傷を透明にするために、他の部分を削ったことになる。こう考えると痛々しすぎて泣く。

結晶は見せたくない傷をさらに傷で隠し、透明になったのだ。こんなつらい歌詞が今まであっただろうか。

 

存在だけで美しいもの

積み重ねてきた想いを削り透明になった結晶は、より純度の高いものになっているだろう。

存在だけで美しいものは、あまり存在感がない気がする。風景の中に溶け込めるからこそ美しいのだと思うし、それを見つけ出すのは認識する側の技量だ。虹も「あっ虹めっちゃくっきり出てる!」という時の感動より「あれ……? 虹だ……!」という感動の方が「美しい」という形容詞がしっくりくる気がする。前者は「綺麗だ」で止まる気がする。形容動詞だし。

 

結晶なので削ったら小さくなるし、透明になったらなったで周りから見つけてもらうことは難しくなる。「言葉の宝石」ではなくて「言葉の結晶」なのだ。

苦悩や挫折を見せずに静かにそこにいるもの。美しい以外の表現は果たしてできるのだろうか。

 

「私もいつかは見せよう 贈ろう」

自己の内面で構成された結晶を他者に届けたい

最初の歌詞と似た表現になっているため、物語などでよくある「同じ表現を2度使うことで過去の回想だと示す役割」みたいなことになっていると思う。

 

響きも光もまっすぐ届かず、責めて泣いていたのに「綺麗な波長」と「優しい笑顔」でこの結晶を見せる。何も知らなければ、最初から美しいとしか思わないような振る舞いを彼女たちはやってのける。泣く。

 

「最後まで演奏を続けるこの船」

船、と急に表現が大きくなっていないか? と思ったが、結晶が一つになるには構成も同じにならなくてはならない(文系です。そんなことなかったらすみません)。

船であれば、個性も立場も在り方も違っていても、方向さえ同じであれば共同体として成立する。

畏れ多いことに、彼女たちはいつも我々を「ワグナーさん」と呼んで感謝してくれる。その姿勢がこの歌詞にも反映されている気がする。「オレモ〜!!!」という気持ちになるし泣く。

 

また、結晶ではなく船で表現できることとして、外部からの強い衝撃が挙げられる。

アニメでもネットで叩かれるシーンが散見されたが、現実でもそういうことはある。本当に残念だが。

それでも演じ続け、次元の垣根すら超えて歌い続け、踊り続けた強さが届くと信じる彼女たち。

もう届いてる。でもその謙虚さも素晴らしい。泣く。

 

「存在」に重きを置く歌詞

視聴動画の段階では、能動的なフレーズが少ない。彼女たちが存在だけで美しい結晶であることを歌詞全体で表現しているのだとしたら泣く。

 

おわりに

最高なので聴いてください。