餃子の話
挽肉(肉の微塵)と玉ねぎとキャベツとニラの微塵を小麦の粉末を練ったやつで包むのが餃子。小さなものたちが集まっておいしい食べ物になるって良いな。食べ物界のスイミー。ラーメン屋でも絶対頼む。嘘。割と行くラーメン屋のうち、一件だけ餃子がない店がある。ないものは頼めない。まあ朝しか営業していない店で朝から餃子を食うのもアレだけど。
餃子が好きなので、時々自分で作っている。冷凍でも良いんだけど具のサイズとか好みにできるので。それぞれ良さがある。人間と一緒。
でも餃子は作るのがめちゃくちゃしんどい。作るのに5億年かかるのに食べるの5秒だからな。
肉の塊を微塵にして野菜を微塵にしてそれをまた一つにする、文章にすると無駄な感じがしてくる。泣きながら玉ねぎをみじん切りにしている。皮を一枚ずつとって包んでいく。でも食べる時は一瞬。気がついたら無くなっている。森林みたい。消費は一瞬。それでも私は作る。消費する瞬間多幸感に包まれるから。餃子の皮ではなく多幸感。
今回の餃子の皮は30枚入りで、具はいつも通り作った。応用が効かない人間だな〜と作ってから思った。
まあ焼けば一緒だから。見た目とか腹に入れば関係ない。私はそうして生きてきた。本質を見抜いて生きていきたいな。
ワンタンかよ。