主語を「地元の友達」にすんな

帰省している。

……のだが、そこにいるかもしれない中学時代の同級生が怖い。私は中学時代にいい思い出がないからだ。あったのかもしれないが、割合的に1:9くらいだと思う。今で言う陽キャが多すぎた。

そして、なぜか数人、私のインスタのフォロワーにいる。怖すぎる。私はお前たちと仲が良かった記憶は特に無いんだが……。フォロワー稼ぎのためなのか? 毎週一回は午後すべて保健室にいたレベルで中学校が嫌いだったんだぞ。こいつらは陰を見ないで過ごせているんだな。

で、まあそいつらは楽しそうな投稿もしていて。私もね、見るんですよ、だって表示されてるんだもん。そしたらね〜「やっぱ地元の友達は個性強くて最高だわ!」って言ってるアカウントがあったわけ。

ここで疑問なんですけど、なんで「中学校」と言わずに「地元」と言うんだ? 主語がでかくなってんだよな。あと、地元地元って、お前、地元から離れたことないだろ。

これ、いわゆるマイルドヤンキーでは? と思ったから調べました。

コトバンクでは、以下のように書かれている。(多少省略させていただきました)

2014年1月、博報堂ブランドデザイン若者研究所のリーダー・原田曜平が著書『ヤンキー経済 消費社会の主役・新保守層の正体』(幻冬舎)で提唱した。かつてのヤンキーから攻撃性といった激しさを除いたような性向を持つため、マイルドヤンキーと名づけられた。その一番の特徴とされるのは、上京志向がなく地元で強い人間関係と生活基盤を作り上げ、家族生活を楽しもうとすること。総じて学歴・年収が低めであり、身近な世界以外に関心が低く、出世などの野心が乏しい。家賃を始めとした物価の安さや強固な地縁関係の影響などにより、消費活動はそれなりに活発。

これじゃん。こんだけ地元愛してんならそりゃ主語もでかくなるわな。

でもさ〜、楽しそうだよな〜と思って。私は地元を離れて、時には頭の良い人たちの世界に首を突っ込んで首切られて過ごしてるのよ。ただ、この私の生き方って苦しみがつきまとうんだよね。別に身近な世界だけ見てても暮らせるし、その方が上を知らずに済むから自己肯定感も保てるじゃん。 「人生におけるハッピーさ」の割合は向こうのほうが高いに決まってる。充実してなきゃ駅前で物真似ダンス踊ってそれをSNSにアップしないよ。あ〜あ、楽しそ〜。自分絶対できないもん。部活で一緒に過ごした前髪で目を全部隠してた男子も、ハイネック着てジャケット羽織ってる丸メガネのマッシュヘアになっちゃった。こんなん一番女を食い荒らす奴じゃねえか。

 自分はこういう「地元最高」って言葉、人生で言う機会は二度と無い。こじらせてのたうち回って生きてる。地元の強い人間関係って。無いよ。

とはいえ、自分は今の生き方がめちゃくちゃ嫌という訳でもない。充実感の割合は少ないだろうけど、充実した出来事の総数は結構戦えてる気がするからだ。つらくても充実する機会って割とあるじゃん。最高なのは地元しか知らないからで、そんな「最高の土地」って無いと思う。渡り鳥にしかそんなこと言う権利ないぞ。

 

しかし、自分は卑屈なので楽しそうな投稿を見たらまた腹が立つのだろう。幸せの尺度をパーセントで見てはいけない。今年最後の訓戒だな。