広告の品

新聞をとっていないのでもちろん広告も見ていないから、「広告の品」が何かは完全にガチャだな〜みたいな所がある。今日はアボカドだった。当たり。あとジャワカレーのルー。当たり。レトルトカレーも安かった。素晴らしい。結果、カレーを狂ったように購入してしまった。まあいつか食べるし。

税金の支払いとトレー回収のために行った割にはいい買い物だった。

 

税金は支払わなかった。税金を支払える分の現金を持っていなかったので……。

ちゃんと「よし、あとは現金を持って、と……」みたいな気分でいたのに食品トレーに夢中になってしまった。今月中までに支払えば良いけど、こういう詰めが甘くてちょっと残念な気分になるみたいなことが結構ある。詰めの甘さは10年ほど前から色々な人に指摘してもらい、その度「直さねば」と思っているのに全く直らない。10年やってだめならもうこれは個性だな。他人には害のない詰めの甘さだし……。

 

ツイッターを相変わらず見続けているけど、140字に思想を全部つめこむとなるとどうしてもインパクトの強い言葉になるんだな〜とタイムラインを眺めながら思っている。文字数に制限がなかったらもうちょっと婉曲な表現だったのかなという気分。「思考の整合性に欠けた人」というよりは「バカ」って言った方が文字数の節約になるからな。

そういうのを見ない方が精神衛生的に良いのはわかるんだけど、どうしても見てしまう。なんでなんだろうな。でも、投稿者のアカウントを直接見ると、一つの物語に直面している気分になる。まあその時の感情が書かれているんだから当然か。思想が詰め込まれた投稿の集合体と書くとなんかそれっぽいな。

アカウントごと読むときは、投稿した人の気持ち(登場人物の気持ち)になると大スペクタクル!! ってなるけど、実際の社会情勢とかその他諸々の現実を踏まえちゃうとアッ……となることがある。

そして自分ももしかしたら……? と我が身を振り返っている。ソシャゲのガチャで気分を左右されていた。これは普通にやめたい。